August 18, 2013
生きとし生けるもの、末長く元気で
「生きとし生けるもの、末長く元気で」
この言葉を目にし、皆さんはどう思われるだろうか?
別れの言葉であることは一目でわかるだろう。
そこに託された意味は何か、そこを問われている。
「元気で」とは、これからも「生きていく」ことにつながる。
「生きていくと」は何なのか?
ただただその日を暮らすのか?
それとももっと積極的に森羅万象にかかわりながら暮らすのか?
「生きる」、「生」とは何なのか?
「死」とは?
これを読まれている方の中には、「死にたい」くらいつらい思いをしたことがあるのではないだろうか?
以前かいたかもしれないが、私は本気で「死」考えたことがある。
でも、実行には至らなかった。
何故思いとどまったのか、何がそうさせたのか、今になってもわからない。
分からなくてはいけないのか、分からなくてもいいことなのか、それすら分かってはいない気がする。
唯一思いとどまる原動力になった(といってもほんの小さな力かもしれないが)のは、「会いたい人に会えなくなる」ことだった。
会えるかどうかも分からないくせに、そんな思いが頭の片隅にあった。
その思いは叶っていないが、今こうしてパソコンの前に座っている。
その時支えになった思いは風化しつつあるが、それでいい気がする。
死への欲求から救い出してくれたのだから。
もう縛られる必要もないだろう。
こう書いていると、私はあたかも「生」と「死」を身近に感じて生きてきたように思われるかもしれない。
だが実は違う気がする。
いや違う。
身近な人の「死」は経験している。
でもそれは、日常の生活にあるごくありふれた死なのだ。
人が亡くなる。
駆けつけた時には、棺の中という感じだ。
つまり生と死の狭間で苦しみ、その繋がりの中で人が死を迎える。
それを看取った経験がない。
私が直面してきたものは、連続であるはずの生と死が断絶されているのだ。
きれいな死なのだ。
ある意味美化されているといってもいい。
受け入れきれていないのかもしれない。
それとも、目をそむけた結果なのかもしれない。
死とは何だ?生とは?生きるとは?
改めて考えさせられる。
そんな本が、これだ↓
この言葉を目にし、皆さんはどう思われるだろうか?
別れの言葉であることは一目でわかるだろう。
そこに託された意味は何か、そこを問われている。
「元気で」とは、これからも「生きていく」ことにつながる。
「生きていくと」は何なのか?
ただただその日を暮らすのか?
それとももっと積極的に森羅万象にかかわりながら暮らすのか?
「生きる」、「生」とは何なのか?
「死」とは?
これを読まれている方の中には、「死にたい」くらいつらい思いをしたことがあるのではないだろうか?
以前かいたかもしれないが、私は本気で「死」考えたことがある。
でも、実行には至らなかった。
何故思いとどまったのか、何がそうさせたのか、今になってもわからない。
分からなくてはいけないのか、分からなくてもいいことなのか、それすら分かってはいない気がする。
唯一思いとどまる原動力になった(といってもほんの小さな力かもしれないが)のは、「会いたい人に会えなくなる」ことだった。
会えるかどうかも分からないくせに、そんな思いが頭の片隅にあった。
その思いは叶っていないが、今こうしてパソコンの前に座っている。
その時支えになった思いは風化しつつあるが、それでいい気がする。
死への欲求から救い出してくれたのだから。
もう縛られる必要もないだろう。
こう書いていると、私はあたかも「生」と「死」を身近に感じて生きてきたように思われるかもしれない。
だが実は違う気がする。
いや違う。
身近な人の「死」は経験している。
でもそれは、日常の生活にあるごくありふれた死なのだ。
人が亡くなる。
駆けつけた時には、棺の中という感じだ。
つまり生と死の狭間で苦しみ、その繋がりの中で人が死を迎える。
それを看取った経験がない。
私が直面してきたものは、連続であるはずの生と死が断絶されているのだ。
きれいな死なのだ。
ある意味美化されているといってもいい。
受け入れきれていないのかもしれない。
それとも、目をそむけた結果なのかもしれない。
死とは何だ?生とは?生きるとは?
改めて考えさせられる。
そんな本が、これだ↓
姜尚中
集英社
2013-04-05
姜尚中らしい作品だ。
小説ではあるが、文学としてどうという切り口はこの際やめにしたい。
とにかく姜尚中が絶えず向き合ってきたことを書いた作品。
いろいろと考える要素がちりばめられている。
○か×か、白黒では切れないのが人生、人間社会。
それを両方受け入ることが必要なのかもしれない。
なかなか難しい問題だ。
私はそんな境地にはまだまだ立てない。
だからこそ「生きる」のだろう。